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ジジイの生活向上委員会

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走り書き

かなり前になりますが、オッサンの呼び名で元ヤマトと新ヤマトがあるとチョコっとお話をしたのですが・・・

確か正月の大神神社に初詣した時の事を書いた記事です^^

今日はこの時のお話を補完する為、もう少し詳しくお話しして行きたいと思います。

ただ時間の都合上、年代検証等は抜きにして、オッサンの頭の中にある物だけを記事にしていきますので、不完全な部分も多々出てくるとおもいます^^;;;

これは後に指摘して修整いたしますので、ご了解ください<(_ _)>

では^^

日本書記に登場するもっとも古い氏族といえば物部氏なのですね。なぜならニニギ命より早くからヤマトの支配者として登場するニギハヤヒ命を租神とする氏族であるからなのです。

この物部氏も渡来民族でして、最初の渡来がツヌガアラシトと共に敦賀に渡来するのですね(オッサンの妄想ですが)。

彼らは滋賀からヤマトへと入ってきて、磯城の国邑を作るのです(これが後に崇神天皇がこの地を治めた時の元ヤマトです)。

では新ヤマトというのは何か?というとナガスネヒコと共に日下で神武の軍勢を迎え撃ったとされる物部氏の兵団が守っていた国(なんとなく斑鳩が中心になるのかなと・・・根拠は探し中><)。

斑鳩は物部氏の政敵である聖徳太子(蘇我氏)と関係する場所であるのですが、物部氏と蘇我氏は大海人皇子が天武天皇となるまでは共闘したのではないかというのがオッサンの妄想なのです^^;

「え~~!蘇我氏なんか滅んでいないじゃないか!」と言われてしまいそうですが、、、

蘇我氏は仏教勢力となって、実は存在していたというのがオッサンの妄想です^^

ただし仏教に景教、ミトラに神宮寺や道教の影響や太一神・・・

当時の宗教のイメージがちっともできないままなのですが、、、大まかの流れはこんな感じになるかなと思います。


やがてこの新ヤマトの物部氏の兵団は壬申の乱で元ヤマトの物部氏と共に天武天皇の下で活躍するのです。

ちょっと変な説明をしてしまいましたが、、、彼ら二つの物部氏は渡来年代が違うのです。

新ヤマトの物部氏は九州から瀬戸内を通ってこの地にきています。もちろん年代も違うし、兵装もまったく違うのでそもそも戦い方も違った兵団です(妄想です)。



古くからヤマトには葛城と磯城という二つの国邑があったのですが、磯城地方の豪族で支配者であったのが物部氏で後に分かれて尾張氏になるのです。

もう一方の葛城氏はというと・・・これが難しいのですが、蘇我氏や賀茂氏ともつながりがあるといわれる氏族ですが、、、

藤原氏と中臣氏の関係のような、、、なんというか引き立て役のようにされた氏族のような気がしてならないのですが、、、この辺りは今後の検証ですね^^;

面白いのは、この小さな地方の国邑の二つの豪族が日本の初期の歴史に何度も登場するという事でしょうか。。。

葛城氏の事はこのぐらいにしておいてと・・・^^;;;

二つの物部氏と天武天皇の共通項は、同じ神を祀ったという事と、それは伊勢神宮にすごく関係するという事で皇祖神というのはまぎれもなく天武天皇の祀った神であるからという事なのですね。

わかったようなわからないような書き方になるのは、オッサン的に確信があるのですが説明出来ない(つまり妄想の域にある><)というところなのです(涙;;;)

じゃあわかってから記事にすれば?と思われるかもしれませんが、、、先に進まないうちに忘れてしまっては困るので不完全ながら記事にしてしまいました。すんません<(_ _)>


天武天皇は太一の神と太陽神の神を祀ったのだとの妄想が肥大化しているオッサンでした^^;


では(^_^)/
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八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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