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七夕の歴史

知らないうちに台風が来ているのですね(>_<)

今日は七夕というのに天の川は見えそうにないですね。。。

という事で!今日は七夕のお話をしてみたいと思います。

七夕のお話の元は中国の天河配だと言われるのですが、中国の七夕物語の中には、はごろも伝説やかぐや姫や鶴の恩返しの要素も入っているのだとかいわれます。

また、道教の神様である西王母(ここでは織姫の母親で登場します)が持っているかんざしで天の川を作り、二人を引き裂くのですね。

ところでこの七夕祭りですが、ミトラ教では星祭りとして存在しています。

太陽神を信仰するミトラ教がどこで星(占星術)とくっついたか?

古代ヒッタイトでミトラ教が誕生し、ミタンニやメディアで西アジアに広めるために、各地にマギ(祭祀)を派遣し、ミトラ神殿を建てていきます。

このミタンニとメディアのミトラ教が、後のイラン・クルド文化の基礎を築いたと考えられています。

そして占星術ですが、この起源は古代バビロニアであるといわれています。

占星術はバビロニアで生まれ、カルデア人神官たちの手で育てられますが、バビロニアがアケメネス朝ペルシアに征服されると、ゾロアスター教により弾圧されるのです。

カルデア人神官たちは、人種差別をしないミトラ教の保護下に入ることで弾圧から逃れます。

やがて、メディア人マギとカルデア人神官は混血し、ミトラ教の司祭団カルデアン・マギが誕生します。

カルデアン・マギは、バイリンガルになり、メディア語とアラム語の両方をあやつり、両親からメディアとカルデア両方の宗教的伝統のすべてを継承し、ミトラの秘儀の中に組み込んでいきます。

カルデアン・マギは、占星術の正式な継承者となり、ミトラ教とともにバビロニア占星術を広め、世界中で使われている七曜と十二星座等を広めたのも、彼らなのですね^^

七曜と十二星座は、中国の十二支・二八宿と融合し、七曜とミトラ教の呪術的な側面は、中国道教における北辰(北斗七星)信仰に結びついていきます。

二八宿は、仏教経由で中国に伝わりますが、すぐに中国化・道教化してしまうのですね。

ミトラと十二星座の結びつきは、弥勒教においても継承され、弥勒は十二星座界の主と呼ばれるようになっていきます。

弥勒教においては、占星術と風水が結びついていきます。

うーん、、、なんか身近になってきていませんか・・・(笑)

オッサンが中国の歴史を見てわかったのは、仏教が栄えるのは隋や唐の時代なのです。

やがてはこの弥勒教が仏教に変わって広まっていくのですね。。。このグレーゾーンが難しいですが・・・

ちなみに日本の七夕の行事に一風変わったものがあります。

牛を川や池で洗ったり泳がせたりする「牛洗い」という風習があるのです。

この風習は日本だけではなく、古来中国でも見られるそうです。

中国最古の天文・星辰の記録には、七夕の牽牛は祭祀の犠牲に関わるもので、河に牛を沈めて祀ったと書いてああるのだそうです。

この風習の起源を追っていくと、古代エジプトの第一王朝までさかのぼるらしいのですね(@_@;)

聖牛アピスをナイル川に沈めるという儀式で、この聖牛アピスが出エジプト記に登場する金の仔牛にも関係していてそうですね^^

大昔から日本のお話に登場する牛ですが、、、世界中でも牛がミトラ教と強く関係しているのだという所を押えておいていただいて。

今日のお話はおしまいです^^;;;


ちっとも前に進めないオッサンです(>_<)



では(^_^)/
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八爺

Author:八爺
63歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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