FC2ブログ

ジジイの生活向上委員会

Top > 歴史 > 海と渡来人。神功皇后

海と渡来人。神功皇后

前回のアカルヒメからの繋がりで今日は神功皇后のお話です^^

神功皇后は応神天皇のお母さんなわけですが、河内王朝を築いた応神天皇。彼こそが初期の統一王朝を作ったのではないかと妄想する人物であるのです。

奥州(東北)を指して日の本と呼んだのは豊臣秀吉でした。

秀吉の時代では、それは皆が認識している事であったのではないでしょうか?

古代より関東は異界の地と認識していたのは九州倭国ではなかったか?

北の王朝の歴史は古く三内丸山古墳が如実に物語っています。

草原の道(ステップロード)の終着が東北の日の本ではなかったのか?というのが私の妄想です。

最初はヒスイの交易から始まったと思うのですが・・・

そして最近話題になった富岡製糸場のある群馬ですが、現在でも絹の生産地として有名です。

明治になった当時、アヘン戦争で荒廃してしまっていた中国の代わって欧米に絹の輸出を行い、日本の殖産興業として地位を不動の物とした歴史があります。

古代日本で最初に絹の生産を始めたのは九州であるのですが、規模や生産量を考えるとやはり中心地は関東にあったのではないかと思います。

スキタイを起源とする騎馬民族は、五胡十六国時代を迎え絹交易の場を荒廃する中国以外に別の場所を求める必要性を感じていたのではないか?(安定供給ですね^^)

この辺りも明治維新の時の東アジア情勢に似ています。

この地を生産地として確立させた古代の渡来人(秦氏orソクド人)は倭国から来たというよりか日の本から来たのだと考えるのは自然な発想と思えるのですがいかがでしょう^^;;;

弓月君(融通王)が、百済120県の人民を率いて帰化するのもこの年代です。

大和の連立王権が成立して、大挙して秦氏の集団が訪れたのではないかと思っているのです。

北と南は秦氏(ソクド人)で繋がったネットワークがあったのだという事ではないかと思っています。

その基礎を作ったのが崇神天皇かと(妄想ですよ^^)。



九州倭国は任那や加羅の繫栄と共に強大となっていくのですが、何度かの王朝交代があったのは間違いないでしょう。

記紀に蝦夷征伐の話があるように、日の本という国があったのであれば九州倭国を勢力圏にいれようと思うのは自然な流れであると思われます。

それを最初に成しえたのが誉田別尊(応神天皇)ではなかったのか?と考えたのです。

なんか妄想話になるとお題(神功皇后)から外れてしまいますね。。。(>_<)


つまりは、日本の北(日の本)と南(倭国)が連合した時に大和ができたのではないかと思っています。

大きな和なのですね^^

騎馬民族と海人族系の和なのです。

応神天皇といえば宇佐八幡宮なのですが、秦氏にも関係し源氏の神様でもあり平家のお話にも登場する神様です。
平家の公達の刀が所蔵されていて、それがペルシャの刀に酷似しているとか(事実関係はわかりませんが)。

これをそのまま信じるならば、ネットワークですね!(爆)

住吉大社の神様なんかもそうなのではないかと思ったりするのです。

何故か?なんて話し出すとこれはすごく長くなるのでできませんが^^;;;

いつか小分けにしてお話したいですね^^


というわけで神功皇后、、、少しもお話できていません(>_<)

飛ばしてしまっています(+_+)

これは次回にという事で^^;



では(^_^)/
関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

Secret

プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
最新記事
最新コメント
最新トラックバック