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海と渡来人。阿加流比賣(アカルヒメ)

今日は渡来人の伝承をお話したいと思います。

私が住む大阪は、たくさんの渡来人が渡ってきた地であり、それらを今に残している部分も多いです。

例えば百済という地名がありますね^^

実はお隣の韓国には百済の地名は無いそうです。

もちろん、前回のお話で邪馬台国が旧満州にあるとしていたので、当然、韓国には無いと思っていますが^^;;;

ではどこにあったか?(脱線したみたいですが・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『周書』百済伝 。

百済の源流は馬韓の属国で、扶余の別種。 仇台という者がおり、帯方郡に於いて国を始めた。

その国は、本は高句麗とともに遼東の東に在ったが、西晋の時代、高句麗が遼東を略有すると、百済もまた遼西の晋平二郡を占拠して、自ら百済郡を置いた。

百済国、本は高句麗とともに遼東の東に千余里に在ったが、その後、高句麗が遼東を略有すると、百済は遼西を略有した。百済の治する所は、言うところでは晋平郡晋平県。

晋の時代(265年-316年)、高句麗は遼東を占領し、百済もまた遼西、晋平の二郡を占拠した。今の柳城(龍城)と北平の間である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中国の遼寧省の朝陽市は、昔の柳城だそうです。柳城は、百済の最初の都で、帯方郡の故地であるという事です。

つまりは旧満州の地に百済もあったという事になるのだそうです^^

と・・・・

それではなくてアカルヒメのお話をしないといけませんでした・・・(>_<)


それではアカルヒメのお話の始まりです^^


新羅の国にある沼のほとりで昼寝をしていた女の陰部に光があたって懐妊し赤い玉を産むというお話があります。

このお話は古事記や日本書記にも詳しくあります。

赤い玉を生み落としたのを目撃していた農夫がおりまして、この農夫が女に赤い玉をもらえないかと懇願します。

農夫は女からもらった赤い玉を大事に袋に仕舞い込んで腰にさげていました。

ある日、農夫が仲間の食事を牛にのせて運んでいると、王子に出会いました。王子が農夫に尋ねました。

「その牛を山の中で殺して食べるつもりだな!」

農夫は弁解するのですが王子は許そうとしません。そこで農夫は赤い玉を取り出して「この宝を差し上げますのでどうぞ許して下さい。」とたのみました。

赤い玉を手に入れた王子は部屋に赤い玉を置きました。すると赤い玉はたちまち綺麗な乙女に変わりました。

王子は乙女を正妻に迎えました。乙女の名はアカルヒメ。王子の名はアメノヒボコといいました。

アカルヒメはいろいろと珍しいごちそうを作っては、アメノヒボコに出しました。しかし、アメノヒボコはだんだんとつけあがって、アカルヒメをののしるようになりました。

ついにアカルヒメは「そもそも、私はあなたの妻となるべき女ではない。私の祖国に帰ります。」そう言うと、小船に乗って、海を渡って逃げてしまいました。

やがて故郷の日本に着くと難波に留まったそうです。

これが難波の比売碁曾神社に祭られる阿加流比売(アカルヒメ)神の話です。。。

元々朝鮮の建国神話には王(始祖)が卵から生まれるお話が多いのですが、この赤い玉は美しい女性となり新羅の王子の妻になり、やがてこの王子から逃れて生まれ故郷の日本に逃げてくるというお話ですね。

渡来人の帰化を伝える伝承のひとつですがこの王子もまた、この女性を追いかけて日本にやって来ます^^;

続き、

アメノヒボコはアカルヒメが逃げたと聞いて、海を渡って日本にやって来て、難波に行こうとしました。

その時、屈強な難波の渡りの神がアメノヒボコの前に立ちはだかり行く手を遮ったのだそうです。

アメノヒボコは仕方なく丹波の国に行きそこで地元の娘を妻として暮らしたのだそうです。。。

やがてアメノヒボコの子孫から息長帯比売(後の神功皇后)が生まれてくるのです。


なんだ?今日も妄想なかったですね^^;;;


では(^_^)/

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八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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