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ジジイの生活向上委員会

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鉄と神様の発祥3

今日はお話の最終日です。

オッサン明日は、白海さんとお魚釣りに行ってきます(^_^)/

妄想歴史はどうしてもネタを詰め込むきらいがあるので読みづらいです(>_<)


もう少し軽く記事にして、わかりやすくしたいのですが、ここらが妄想の根幹部分でもあるのでしばしお付き合い願いますm(__)m

次回からは妄想ライトになりますよう・・・(祈)


では始めます!


秦氏は秦の始皇帝の末裔というのが一般的解釈になっていますが・・・

はたしてどうなのか・・・?



日本書紀にある百済より百二十県の人を率いて帰化した弓月君。

このあたりの考察です。

・・・・・・・・・・・・・・・・wiki

応神天皇14年(283年)、大勢の秦氏の帰化を弓月君が希望していたのだけれど、新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況であった。

しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて本邦に帰還することはなかった。

そこで、応神天皇16年(285年)8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。

新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した。

・・・・・・・・・・・・・・・・wiki


と、こういう事なのですが・・・

新羅の国の成立は確か350年ぐらいだったか・・・と思うのですが・・・うーん、日本書紀の年代が合わないですね^^;

そこは置いといて、お話を進めます^^

ここに登場する弓月君は、秦始皇帝三世孫で孝武王の後裔という事になっています。

弓月君と同じ名前の国(弓月国)がキルギスの北方、イシク・クル湖の近辺かイリ川の辺りにあったらしいのです。

いきなり始皇帝の末裔が心細いほど遠くに来てしまってますが^^;

秦がバクトリアの衛星国であったというぐらいなので有り得る話かもしれません。

ひとつ考えれるのが、アッシリアの砂漠に消えた北イスラエル王国の失われた10氏族です。

日ユ同祖論というのがありまして、弓月君も失われた10氏族でないかという事です。

すべて失われた10氏族にできませんが、他民族と同化する時に土木技術や製鉄技術を継承させてきただろうと考えています。

これらの事業は大勢の人の助けが必要であり、氏族の中だけで伝承させるのは無理があっただろうと思うのです。

スキタイとヒッタイトの出会いはこの辺にあるのではというのが、私の妄想史です。

大秦というのはローマの事で、京都にある太秦という字はバクトリア国の事ともいわれます。

バクトリアはその昔、大月氏国とも呼ばれていました。

オッサンの邪馬台国でお話した魏の金印「親魏大月氏王」を授かったもうひとつの国、大月氏国です。

「親魏倭王」と「親魏大月氏王」。オリエントと東アジアが繋がっていた証明にもなるかな^^

それと魏は鮮卑族が作った国なのです。

オッサンの邪馬台国では大月氏国が魏に朝貢した理由を書かなかったのですが、絹馬貿易のルート確保が目的であったのではないか?と妄想しています。

つまり!
前回、「楽浪や帯方は旧満州にあった!」というお話をしたのですが、卑弥呼がいた当時にすでにバクトリアからソクド人が来ていて、魏に朝貢していたという事です。

彼らは戦乱の時代に安全な交易ルートがほしかったのだろうと思います。

やがて、秦氏によって日本は東アジアの一大絹生産国になるのですが、このころはまだ魏との交易ルートが主だったと考えています。

ちなみにローラン→楼蘭→楽浪→浪早→難波と繋がるのだそうです(ホンマかいな!)。

トルファン→吐魯番→帯方→諏訪こっちもありますね^^

えーっと、話を戻しまして(汗)

この弓月国の近くにはヤマトゥという地やテングリ山という名の山も存在しています。

またイリカスミやミマキイリヒコのイリの地もあります。

日本に渡来した秦氏ですが、徐福に関しても彼が率いてきた童男童女と技術者たちは物部氏となったという人もおられます。

中国側にも徐福伝説(江蘇省)が存在するのが特徴ですね。末裔とはいえませんが、職能集団を率いて渡来したのは間違いないですね。

私は物部氏に関しては、新羅つながりで東ローマとの関係があると思っているのですが(どっちも妄想はいってますね^^)


あとスッテプロードやシルクロードに存在するオアシスが人工物であったというのをご存知でしょうか?

私は長く自然にできた水辺に街ができたのだと思っていました(>_<)

遠くにある雪山から流れる水を地下水道(カナート)をつなげてオアシスまで引き込んで、永住住居や作物のできる場所にしたのです。

実はこれに似たものが日本にも存在しています。

マンボと呼ばれるものですが、これは時代背景が異なるのですが、現在でも現役で使われています^^

また飛鳥の都に地下水道や噴水もあった事が、遺跡の発掘によりわかっています。

ここら辺は別記事にしたかったのですが、ちょこっと載せてしまいました。。。残念!

まあ大体記事の内容が想像できるのでいいかな(爆)

そして、ここに登場した人達が共通の太陽信仰を持っていたのですが、これがキーポイントであると思っています。

ユダヤ教の時にもお話しましたが、すべての信仰はエジプトの太陽信仰に行きつくというものです。

彼らは同じ信仰の中で行動したのではないかと思います。

太陽信仰は神の名前を変えて世界中に鉄と共に広がったのではと・・・

この部分は完全に妄想ですので^^;

多々良の神様、拝火教の神様、身近な神様が日本にもたくさんおられると思います。


こんな感じでダラダラと記事にしましたが、失われた10支族(ヒッタイトも含む)をソクド人に入れ替えて(ここ、ちょっと強引です)、スキタイから発生した騎馬民族がソクド人とともに東へと行動範囲(交易の交渉範囲)を広げていった人達。

これが秦氏というのが結論というか、彼らの中に技術部門としていたのであろうと思われます。

すなわち私の結論は

「失われた10支族=ヒッタイト=ソクド人=秦氏(強引ですが・・・)。」となります。

ソクド人の国であるソグディアナやバクトリアはゾロアスター教(拝火教)の国でもありました。

やがてペルシャに統括されてしまうのですが、ペルシャもイスラム教徒らによってイスラム教に変わるまでの長い期間をゾロアスター教を国教とします。

そしてペルシャがイスラム教に変わる辺りから突厥帝国が産声をあげ、ペルシャや東ローマや中国と覇を争います。

このあたりもすごく運命っぽいわけですね。。。

ソクド人と太陽信仰は、バクトリア国から突厥へとバトンタッチされたと私は理解しています^^

そしてまた日本に波状的に来るのです。この時代はアマタリシヒコの時代です。

これらの時代考証は別の機会にしなければなりませんが、今回は大まかな流れをお話できたらと思います。

つまりは各時代の騎馬民族と商人が技術者を伴って現れたというのが私の妄想です。

勅勒や高車や鉄勅、突厥と名前が違っても同じDNA(同じ使命)を持った民族だという事です。

すべては騎馬民族のスキタイから来ているのだと!スキタイの性質を色濃く残して各時代を駆け抜けるそれは、まさしくスキタイそのものなのですね!

騎馬民族をその時代の国にあてはめて時代考証してもわけがわからなくなってしまうのです。

そこで各騎馬民族の勃興と滅亡を追った方が、まだ見えてくるものがある。

現在のところはそんな感じの妄想史です。

最後に「騎馬民族って何?」という事をお話します。

人間は、数十億の細胞でできているのだそうですが、この体のどの細胞を取ってみても、これは人間の細胞なのは当たり前ですね^^

国家というのは、ひとつの大地を細かく分類して色分けするようなもので、色分けされた小さな範囲で人は永住して国家としてのアイデンティティーみたいなものが育まれるのかな?と思うのです。

騎馬民族は広い大陸を人間の体の中を流れる血液のように頭のてっぺんからつま先まで移動して暮らしたのですね。

広大な草原で生活する彼らは、この草原(人間の肉体)がある限りは自分達が滅ぶ心配などしようもないのだと考えています^^

これがモンゴル帝国まで繋がっていくのですね。

やがて近代になり国家の概念が明確になりだす(国境の明確化)と、彼らの力は小さくなって消えてしまうのですね。。。

うーん例えがイマイチだったですが^^;;;


さて、


なんとなく・・・アレキサンダーの話と繋がったのでしょうか?


ちょっと無理っぽい内容かもですが(>_<)


回数をこなせばまた違うかもですね^^


長いお話、お付き合いしていただきありがとうございます。


これからもちょこっと記事にします^^




では(^_^)/
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プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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