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おっさんの邪馬台国1

さて、今回のお話ですが、、、

邪馬台国です!!

といっても、自分にはわかりません(>_<)

逆に言えば、前にも記事に書いたようにエジプトまで行ってしまった説があるぐらいです。

ほとんどの方は笑うと思います^^

しかし私は笑えません。。。そうかもなあ・・と考えます(爆)

そこでこれをどんな風に調べ上げれば良いのだろうか?という所に集点をあてて考察してゆきます。

卑弥呼という女王の悲劇(妄想ですが、、、)。これもお話にできたらいいなあと思います。。。

今回、記事にするにあたりたくさんのサイトから情報を頂いて、自分なりの視点で取り上げさせてもらいました^^

邪馬台国や倭国については、三国史記の魏志倭人伝を中心に、自分の考えである歴史の整合性を第一に考えて(本当です!妄想の中にたとえわずかでも歴史の整合性を入れると・・たぶん、私の過去記事のどこかで書いてあったと思います^^)、「当時の日本と東アジアの関係、そして、その時何が起こっていたのか?」ここら辺りを考慮して、尚且つそれでも出てくる疑問や矛盾を隅にやらず、、、

それらが何なのか?と言う事も

この妄想ブログ残しておきたいと思います。


そして、最初に言っておかないといけない事なのですが、私は邪馬台国は近畿でも九州でも無く魏の時代は、旧満州(大連や旅順があった場所)であった遼寧省と言われる方がいるのですが、その見解を支持しています。

日露戦争の時に多大な犠牲を払ってでも、必要とした旅順港が有る場所です。

半島と中国の間、金印(親魏倭王)を授かるにふさわしい場所(地政学的にというか・・・)であるだろうと思います。

現朝鮮半島の大部分は倭国であった(もちろん九州を含む)という見解です。

実はこれが現在の東アジアの政治に影を落としていて、邪馬台国が解決できない原因となっています。。。

卑弥呼が生きた三世紀や倭国が繁栄した四世紀の事は永遠の謎であった方が都合が良いのかもしれません(やばい!エンディングにはまだ早い・・)

繫栄期から衰退期へ・・・倭国が九州や近畿圏にその存在を残すのは、本家の滅亡と深く関係しているのだというのが自分の考えです。

もっと言えばこの時代の日本の人口増加は決して稲作が伝わったからとかではなく(もちろんそれもありますが)、半島倭国からの大量移民や亡命者の増加。。。それ以外に考えられないです。

う~ん、考察すると言っておきながら、いきなり自分の考えばかりで申し訳有りません(>_<)

考察しないといけないですね・・・^^;


では!!始めます^^


西暦238年、「親魏倭王」これが卑弥呼の魏の皇帝、曹叡から与えられた封号です。

これは遼東郡、帯方郡の領主であった公孫氏が滅んだ後の事であると書かれています。

ここで公孫氏について少しお話したいと思います。

公孫氏、元は楽浪の下級官史から永寧侯(公孫度の時)に封じられるまでに力をつけてきた氏族です。

まあこの時代の事なので、任侠の親分みたいなのがだんだんと勢力をつけてきたようなイメージがいいのかな?

やがて魏・蜀・呉の三国が争いあう中で楽浪郡をその手中に収めます。

有名な三国志の英雄達が登場する中で、第三勢力を目論んでいたようです・・・

ここで問題になるのが楽浪の位置なのですが。。。

現在の日中韓の歴史に示されている楽浪の場所ではないという事です。

現在の歴史では楽浪は北朝鮮の平城あたりになるのですが、先ほどに言った、現在の中国の遼寧省あたりになるのです。


(すみません(>_<)説明がややこしくって)


公孫度は魏の曹操をうまく交わしながら、呉との関係も保つ政策をとってゆきますが、やがて亡くなり、その後を公孫康が継ぎます。

二代目公孫康の時代には楽浪郡から帯方郡を分置し二郡とします。

彼も公孫度の考えを継承し、曹操との関係を保つのですが、公孫淵(度から数えて4代目)の代になり楽浪公・大司馬の称号を授かるまでになりますが、呉との共謀がばれてしまいます。

そして燕王として立つも滅ぼされてしまいます。

これが元で公孫の氏族は滅亡してしまうのですが、公孫氏が勢力を持ったこの地域は民族のるつぼのような場所でもあります。

背後に三韓があり周りには大小の倭人や韓人の国が重なり合うようにあるイメージです。

さらに北には高句麗が目を光らせています^^

そして、この民族のるつぼを神がかりなシャーマニズムで統制できたのが卑弥呼という女性です。

倭国の王都から離れた遼東半島女王であり祭祀者であったのです。

ゆえに邪馬台国はこの地にあったのです。

公孫氏がこの地を権力者としておさめる為には、卑弥呼という倭国の祭祀者のカリスマが必要であったと考えます。

多分、みなさんのイメージからは、かけ離れすぎていると思うのですが、
西都原も纒向遺跡も私のお話には登場しません。

この二つは日本の歴史ではとても大切な遺跡でありますが、残念ながら卑弥呼はもっとスケールが大きくロマンがあります(ロマンでなくて妄想です^^;)

この時代の日本列島だって、従来の歴史感よりもっと大きなスケールで動いています(笑)

いずれお話できるといいですね^^

さて・・・

この場所を制した者は、もしかしたら三国志の英雄達の仲間入りができたかもしれません。

野望があればですが、、、

無ければ、逆に食われてしまう時代でもありました。。。

卑弥呼という女王にはそんな気持ちはなかったのでしょう。

という事は彼女も悲しい最後を迎えます。

次回はこのあたりのお話をしたいと思います。。。


では(^_^)/
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No title

内容、難しくて正直半分も理解できていないと思いますが。。。汗

「卑弥呼」は私も結構好きです。女性が統制していたというだけでちょっとワクワクします。
「日本の歴史」という漫画が昔あったのですが、何回も読んでました。
今、中学校ではどう教えているのか、あとで長男の教科書見てみようかな。

「旧満州」に邪馬台国があったというのは面白いですね。^^。
最初このブログで読んだときはびっくりしました。

次の記事も楽しみにしてます。♪

いつもありがとうございます^^

中国にはけっこう日本の記述が出てきます。

中国の各時代の書記官のような人が東夷伝という形で残してくれているのです^^

ただ、その記述もその時代の国の正統性を謳った内容なのですべて信じれるものでもないようなのですが^^;;;

邪馬台国の卑弥呼さんは、名前が変わって日本に伝わっているのだろうと思っています^^

神功皇后、アマテラス大神、民族信仰のオシラ様や瀬織津姫・・・

日本の姫神には卑弥呼さんの影がなんとなく見えたりするように思います^^

卑弥呼さんが日本の歴史書に登場しなかったのは、それを良しと思わない勢力がいたか?元々日本の話でなかったかですが、、、

私はそのどちらもなのかな?と思っています^^

でも卑弥呼を知っている人達が、日本の姫神に卑弥呼を投影させたのではないかと・・・(妄想です^^;;;)

himariさんが読んでいたマンガと同じ感覚で見ていただけたら嬉しいです^^

もっと簡単に説明できたらいいのですが、、、文章力がついていってないですね(汗)

喜んでいただけたら、妄想歴史も少しずつ記事にしていきます^^




プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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