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アレキサンダー大王の東征の波及が日本まで・・・4

今日のお話は、ロクサネとの出会いからアレキサンダーの死までと、、、

その後のマケドニア・・・そしてソグディアナとバクトリアです。

アレキサンダーが開いた歴史の扉が、この地にヘレニズム文化の華を咲かせます。

まさにアジアの歴史の胎動ですね^^

では、まいります!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バクトリアと北方に接するソグディアナ地方において、ロクサネという女性に出会います。

ソグディアナ地方の領主オクシュアルテスの娘である彼女はそのとき捕虜となっていました。

ロクサネは、美しく異民族には珍しい上品な振る舞いで、アレキサンダーを魅了します。

アレキサンダーはロクサネの父をはじめ領民らの賛同を得て、大王は彼女と二十八歳で初めて結婚することとなります。

この婚姻は、難航していたバクトリア・ソグディアナ地方を沈静化する為とも言われます。

なぜなら、マケドニア軍は当地においてソグド人の激しい攻撃さらされ、しかもこれにスキタイの遊牧民族も加わり戦乱が拡大していくのです。

それとこの地方にギリシア人植民都市をつくり統治しようとします。

これを良しとしないソグド人の反感をかったのでしょう。

後にはこの地方はバクトリア王国として独立するほど力を持ち、ギリシア・ヘレニズム文化を最も長く伝えていく中心部となっていきます。

アレキサンダーは、疲弊しながらもソグディアナを制圧した後にインドに向けて遠征を開始します。

紀元前326年にインダス川を越えてパンジャブ地方に侵入し、5月にヒュダスペス河畔の戦いでパウラヴァ族の王ポロスと戦います。

アレキサンダーはこの戦いに勝利しますが、自軍の損害も今まで以上に大きくなり、しかも今後戦うであろうインド軍の軍容の大きさが自軍に伝わり、兵士の厭戦気分が蔓延して行きます。

インド軍はゾウの戦車を使いますから、さすがの重装騎兵もこれを見た時、怪物と思った事でしょう・・・^^:

長く付き従えてきたアレキサンダー軍も望郷にかられます。

アレキサンダーは、そんな兵士達に怒りをぶつけますが、悩んだ末にマケドニアへの帰国を決めるのです。

そして、マケドニアに戻る途中にスーサに滞在します。

そこで、マケドニア兵とペルシャの貴族女性合わせて一万人規模の合同結婚式を行います。

アレキサンダーもイッソスの戦いで捕虜となっていたダレイオス王の娘と、その前王アルタクセルクセスの娘と結婚します。

これにより大王はペルシャ王家の正当な後継権を得ることになるのです。

合同結婚式ですが、血分けの儀式の意味合いがあると思っています。

これによってマケドニア軍の兵士と地方の貴族達(ソグド人)が血縁関係を結びこれが後に妄想歴史では重要になってくる一因になっていきます。



間単に説明しますと戦う者とその戦いで潤う者との関係とでもいいましょうか・・・(笑)

例えば、秦の始皇帝(紀元前246年 - 紀元前210年)が中国を統一した時に彼は焚書坑儒を行ったと言われます。

つまり過去の歴史、政治、伝統などなどすべてを作り直した訳ですね。

私は、同じ中国人(この当時の人をそう呼んでいいのかですが^^;)がする事とは思えないのですが・・・

どうでしょう?

バクトリアは、中国大陸で紀元前403年から始まった戦国時代を統一するために、秦を軍事援助します。

これにより紀元前221年中国の戦国時代が終わり、ここに秦帝国が興るというわけです。

秦帝国の母国バクトリアは、中国では大月氏と呼ばれます。

つまりは秦はバクトリアの植民地であったということです。

これについては歴史家の鹿島昇は明確に言っています。

また、氏は秦始皇帝はバクトリア王ディオドトス、兵馬俑(へいばよう)はペルシア軍団 とも言っています。

真意はわかりませんが、植民地であったという見解には賛成です。

おっと!!

話をアレキサンダーに戻さないといけませんね^^;



バビロンに帰還したアレキサンダーですが、、、突然の熱病に犯され死去してしまいます(>_<)

アレキサンダーは10日間熱にうなされ続けるのですが、遺言も残します。

彼の遺言は短く「最強の者が帝国を継承せよ」と。

この遺言が発端となって、彼の部将達が覇権を争うことになっていきます。。。

これにより最終的にはアレキサンダーの帝国は五つにわかれ興亡を繰り返し消滅していきます。

マケドニア王国、エジプト王国、トラキア王国、パルチア、バクトリアなどに分割されたわけです。

アレキサンダーが残したバクトリア地方は、セレウコス朝シリア、バクトリア王国、大月氏国、クシャナ朝と変遷する中でもこのヘレニズム文化が伝統され、イスラム勢力が台頭するまでの約千年間継承されていくのです。。。

そしてバクトリアは北インドを制圧し、領土を東に求めてゆきます。

これが秦とバクトリアの関係です。

アレキサンダーの時代、中国は戦国時代中期です。このころ北アジアで騎馬民族匈奴が興ります。

古代騎馬民族は謎の多い民族なのですが、これは彼らが歴史を残さない民族であったからです。

騎馬民族の歴史はスキタイから始まります。

スキタイが騎馬民族となれたのは、鉄器製造技術を持っていたからだと言われます。

鉄器製造技術により、クツワを作り、馬の口にはめ、手綱により馬を制御できるようになったのです。

その鉄器製造技術は、カスピ海南岸を支配する、敵対国アッシリアの捕虜から手に入れます。

紀元前3世紀には、東ユーラシアに渡来したスキタイ民族末裔が、遊牧原住民を取り込み、騎馬民族匈奴として、南の農耕民族国と対峙していきます。

紀元一世紀、ローマ共和国は、ギリシャ・マケドニア王国・ペルガモン・エジプト王国を支配すると、アウグスツスは、初代ローマ皇帝となり、ここにローマ帝国が興ったのです。

ローマ帝国軍は、ロンギヌスの槍と盾により隣国を支配国とするとローマ帝国軍式直線道路により戦略品をローマ都市に持ち込み国際交易商人が多く集まるようになり栄えていったのです。。。

と・・・

ざっくりですが、アレキサンダー以後の歴史を追ってみました。

いかがでしょうか?

まだパッとしないと思いますが^^;;;

追々、この穴を埋める作業をしてゆきたいです。


これにてアレキサンダーのお話はおしまいです^^

彼は日本の神話にも登場していたのだとか、わかっていただけたらうれしいですね。

彼の死後のバクトリア。

そしてゾロアスター教(ミトラを含む)。

初代統一中国の秦。

そして、スキタイ系騎馬民族やチュルク系騎馬民族(起源はスキタイ、そしてどちらも製鉄民族ですね)。

そしてこの地域を生活圏としていたソグド人。

ということで面子も揃ってきましたね^^・・・かな?


最後は、少し長くなって読み辛かったと思います。

ここまでお付き合いいただき感謝いたしますm(__)m

次回は紀州釣りの水箱を考察するです^^


では(^_^)/
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プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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