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ジジイの生活向上委員会

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邪馬台国はどこだ?

ぐっと冷え込んできましたが(>_<)
いかがお過ごしでしょうか?

大阪も冷え込んできて、雪が舞っております。
テレビなんか観ていると首都圏では大変なようですね・・。

前回にソイルマークの写真とかを見ていただのですが、こういった土壌痕跡があるという事がわかっていただいたと思います。

で、、、

今回は何をお話しようかと・・・

これはかなり悩みまして^^;

簡略にすると何を言ってるのかわからなくなり、細かくなるとだらだらとエンドレスになりそうな(実際はそうなのですが・・・><)

北の王国の騎馬民族と邪馬台国の関係は、現在のところ自分のなかでは「無い」という結果ですが、まったく無いのではなく説明できない謎の部分は山ほどあるので、、、

邪馬台国と卑弥呼。

自分の効率の悪い脳みそで考えている部分のお話をしておこうと^^;

では!!

「卑弥呼がいた邪馬台国はどこだ?」というので九州説と近畿説があって、これについては様々な意見がでています。

そして、これらの説とは別に「そもそも邪馬台国は日本にはないのだよ!!」という説もありまして、日本の歴史がややこしくなっている訳なのです。

古代の中国や朝鮮の文献なんかにはたくさんの倭国に関する記述がありまして、これらの解釈の仕方によって今の状況になってしまているというのが正直なところではないかと思っています。

そこで!!こうなったら「邪馬台国は無視して話を進めるか~~^^」とも思ったのですが・・・
卑弥呼さんが自分の頭の中では、どういう人になっているのか?ぐらいの話しかできないのですが・・・
このころの日本の王朝も含めて少しだけ^^;


まずは卑弥呼の記述として出てくるのが、皆さんご存知の魏志倭人伝がでてきますよね。

これが、、、ややこしくしている張本人にされてしまっているのですが・・・

飛躍してゆくと

中には邪馬台国を辿っていくとエジプトにまで行っちゃった説まであるのです。

もっと過激になると「日本人は古代エジプト人で古代ギリシャ人でしかも古代ローマ人なんだよ!!」なんて話になり、古事記や日本書紀に出てくる神様は、ギリシャ神話や聖書に出てくる神様と同一なんだという話になっていったり・・・

こうなると私の妄想なんか足下にも及ばない世界になってゆくのですが、、、^^;;;

ただですね、

古代エジプト人や古代ギリシャ人や古代ローマ人が直接日本に来たというよりか、それらの文化や宗教や技術を持った人達が日本に来た。

例えば、宗教という事で考えても、拡散して広がってゆく可能性がありますし、その逆に弾圧されて日本に逃げてきたという解釈も当然できる訳です。
文化や技術という事を考えても、それを持った人間が他の国でどれぐらいに優遇されるかなんて考えたら、むしろ自然に伝わってきたのではないかとさえ思っています。

ここでこの話を続けると邪馬台国から離れてしまうので^^;

この話は後日するという事を約束しまして^^

邪馬台国に戻ります。

まずは九州王朝説を唱えておられる方に古田武彦氏。そして日本じゃないよ節を唱えられておられる方には山形明郷氏。

この二人の先生の言われる事はまったく違う見解なのですが、それぞれ整合性(自分としては)がありましてですね・・・

こういう場合、自分としては「足して二で割る」作戦をとります。

つまりはいいとこ取りなのですが、、、^^;;;

倭国の一部は九州に存在した。しかし、邪馬台国は日本になかった。半島での権力を失った倭国はやがて筑紫を本拠地としていったのではないか?(大海に浮かぶ島国日本は、王家の最後の逃避地でもあったのでは?)と思っています。

もちろん卑弥呼も日本にいなかった。

ついでになりますが、女帝であるとか女王が国を治めた歴史は古代新羅であるとか、日本の飛鳥時代であるとか、同時代の中国の則天武后であるとか時代が集中しているのです。(あまり関係ないけど、不思議ではありますね)

卑弥呼の影響があったかどうかはわかりません。

卑弥呼は鬼道を使うと言われていますが、これは古代のミトラ教ではないか?

ミトラ教に呪術があったのかはわかりませんが、卑弥呼にはミトラ教の神官のイメージが強くあります^^

倭国大乱をシャーマンであった卑弥呼が、その得意とするところのシャーマニズムで治めたわけですから、卑弥呼が姫神として日本に伝わったとしてもなんら不思議な事ではないですね。

あと、倭国大乱があった時期と崇神天皇の時代がピッタリなのも、偶然なのか?それともちゃんとした理由があるのか?
自分にはわからない謎の部分でもあるのです。

それと、崇神天皇の時代には牛馬はいないのです。つまり、騎馬民族の存在が無いということになります。

崇神天皇の時代は三輪王朝。ちなみにその前は、神武天皇から欠史八代まででこれを葛城王朝と言います。

三輪王朝の次が河内王朝になるのですが、この頃より馬具とかが古墳から発見されて馬の存在(騎馬民族の存在)がわかってくるのです。

そして、継体王朝になってくると「あなた!!騎馬民族そのものでしょ!!」と自分の妄想はなってくるのです^^

え~~っと、

今まで出てきた葛城王朝、三輪王朝、河内王朝、継体王朝と四つの王朝を書きましたが、これらは前の王朝が滅ぼされて新しい王朝が誕生したというイメージで考えています(古事記や日本書紀とは違うけれど・・・)。

それともう一つ、大陸には無い日本の王朝交代の場面で考えるべき点として、一族郎党皆殺し的な抹殺を日本の古代の支配者はどうもしなかったんじゃないかなという点です。

これが後の天皇の系統の中にも生かされてくるんじゃないか(歴代日本の支配者の法則みたいな)と考えています。


以上、なんかダラダラと進めてしまって本筋が見えずらくなってしまいましたが(>_<)

ここで登場した倭国であるとか、卑弥呼さんであるとかは日本の外であったという事が一つ。

そして、四つの王朝もまた日本の中で交代してできた王朝ではなく、どちらかというと渡来してきた民族によって生まれた王朝であると考えられるという事。

あと、ミトラ教という宗教があったという事。

この辺を押えていただいて次回に進めたいと思います。

まだまだ本筋には行けませんが、お約束なので文化・宗教・技術の伝達の一つの例を考証しますのでよろしくお願いします。

では(^_^)/








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No title

おはようございます。(^^)
邪馬台国。。卑弥呼さん。。謎だらけですね。

私が子供の頃と、今の長男(13歳)の頃では歴史認識がかなり違うようです。教科書の内容がもう違うんです。

邪馬台国から話がずれますが、私が子供のころは「1192つくろう鎌倉幕府」を覚えましたが、今はそういった年号があまり重視されていないようです。

理科や数学はたいして変わらないのですが、歴史はちょっとしたことで解釈や認識が変わってきますね。(*^_^*)

・・・・・今日は珍しく、歴史のコメントです。
教養のなさを実感しているこの頃です。(笑)

また、来ます。

※関連記事まで貼ってあります。。。すごい~。。(#^.^#)

himariさん、こんにちは^^

いつもありがとうございます^^

「1192つくろう鎌倉幕府」ですよね!
私もそのように覚えましたよ。

今は違うのですね。。。

どちらが良いのか判断できませんが、国の政治的な部分で歴史がころころ変わるのでは、教わっている子供達が可愛そうでもありますね。

ただ、新しい発見があったりすると、そこから先の内容が180度変わった認識になるというのは十分考えられる事でもありますし、そういった部分の改正には賛成できるのですが、、、知らないうちに変わってしまうのには賛成しかねますね^^

私の高校時代の話ですが、その頃の自分は勉強嫌いでして^^;
その日その日をなんとかしのいで来たというような学生だったのですが・・・

世界史の先生でかなり高齢な先生がおられまして、その先生は授業をする時に教科書を一切開かないで授業をされるのです^^

その先生の授業では、歴史上の人物が生き生きとしてですね・・・

まるで映画でも観ているような感覚で授業を聞いた覚えがあるのです^^

卒業してからもあの先生の授業を聞いてみたいなあ~と思った事がありました。

年号を重要視しなくても、生徒の心に残るような授業をされるのであれば、歴史の授業の価値があるのかもしれないですね・・・

追伸:
歴史のコメント、ありがとうございます^^
私の歴史も半分以上が妄想ですので、、、
教養のない部分は妄想でカバーしております^^;;;





プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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