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ジジイの生活向上委員会

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鉄兜の騎士の行方

久しぶりにネットをうろついてみたら「うーん、、、」「オ―ッ!!」釣れてるなあ・・・と

オッサンの季節感が湧かないうちに、ドンドン季節は移り変わっていっているように思う今日この頃ですが、、、みなさん、いかがお過ごしでしょうか^^

早々と別荘から帰還したのはいいけれど、そこから停滞続きのオッサンです(T_T)

今週からは、もう少し行動範囲を広げる予定なのですが、、、どうも体がポンコツでいけませんね^^;;;


そんな時にふと前に言っていた突厥とハザールの事を記事にしてみようと思いつき、今日はそのお話をしようと思います^^


たぶんですが、まともな記事にはなりません^^;
昔の歴史ですからね!



えっと・・・


オッサンの過去記事に登場する突厥は、奈良時代を疾風のように駆け抜けてやがて関東に拠点を置き、唐・新羅の連合軍と対峙して、極東の日本に飛鳥や斑鳩を作った人達なのですね(妄想ですよ!)。

隋や唐との果てしない死闘を演じ、東の果ての日本では倭王になり、高句麗にも影響を与えたのではないかと思うオッサンです(妄想ですが^^;)。
後の渤海(高句麗の継承国家)にも深く関与しているのではとも思っています。


そしてクリミア半島にハザールの帝国を興すのですね!
彼らはその出自を阿史那氏に繋がる西突厥と呼称します。

「ハザール汗国」。

この国が世界に知れれるのは、アシュケナジーユダヤの故郷であり、ユダヤ民族にとって古代イスラエル以降にできた最初のユダヤの国であるという認識からです。
あまり馴染みがないけど・・・これって重要やと思うのですね!


現在、世界中のユダヤ民族の大多数はアシュケナジーです。


ローマを追われて、世界中に散らばったユダヤの民にとっのハザール汗国は、イスラエルが滅んで以来の夢の実現であったはずです。


ここに世界中のユダヤの民が集まってきたのは不思議ではないと思うのですね!


キリスト教のビザンツ帝国とイスラム教のアラブの帝国に挟まれてハザールの可汗はユダヤ教に改宗する訳ですが・・・


理由は、どちらかにくみする事を嫌ったのだろうという事です。


何度もペルシャやイスラムの強襲を受け、その都度撃退していくのですが・・・


ハザールがなかったらビザンツ帝国はもっと早くにアラブに呑み込まれていたであろうと言われています。


オッサンは、結果的に西欧のキリスト教国をイスラムから守ったハザール汗国が、何故歴史から消えてしまったのかが不思議だったのですね。


実はもっと不思議な事があって、それがユダヤのアシュケナジーの歴史なのです。


旧約聖書に記述されるユダヤの民は、決して受け入れられる内容ではない(オッサン的には)のですが、、、もっと正当に評価されてもいいんじゃないかと思ったりするわけです。


ロシア革命はアシュケナジーによるユダヤ革命だったとも言われますが、はたしてこの革命に突厥の末裔が関与していたのだろうか?・・・


というのが、ず~っとオッサンの中の妄想だったのです(爆)


実際、初期の革命運動はハザールの故地で起きるのです。
そしてスターリンの側近に1人のユダヤ人の名が登場します。


「ラザーリ・カガノヴィッチ」


その名に可汗(カガノビッチ)が含まれているところから、ハザールの王族の末裔と言われた人物です。


ラザーリの妹ローザはスターリンの3番目の奥さんになるのです。


彼の一族がロスチャイルドと?深い繫がりがあるとかという事が言われています。


ロシア革命の時でもあり、ある程度の関与があっても不思議ではないと思うオッサンですが・・・


この辺りのネタは広瀬隆さんしかなく、なんともオッサンにはわかりません^^;;;


ハザールの王族はビザンツとの間に血縁を持っていると言われています。


そう考えれば、彼らが支配層の一角になっても不思議ではありませんが・・・

では突厥は・・・?というと


結果を最初に言ってしまうと、ほとんど影響なかったなあ~^^;;;
というのが、オッサンの答えなんですけど・・・



しかしこの時代に、イスラム教とキリスト教とユダヤ教がこの地で見事に激突するのですね!


これこそ聖書にいれる内容ではないかな?なんて思ってしまいます。。。

アシュケナジーの故郷の地になり、後に大粛清の地となる・・・


その両方に関わったとするなら・・・


なんという歴史なんだろうと・・・(>_<)


オイオイ!妄想だろうが・・・^^;;;



西欧もゲルマンの大移動以降、フランク王国ができ、各地に王族や貴族が星のように生まれます。


西欧もまた戦争の歴史を現在に至るまで延々と繰り返すのですね。。。


ハザールを興した突厥はこのクリミアの地でも、過去に隋や唐と戦ったようにイスラムやルーシーと死闘を演じて、やがて本来の故郷である草原にに一人また一人と帰ったように思います。


ある者はこの地に残り、ある者はイスラムの傭兵となり、やがてはセルジュークトルコとしてモンゴル軍と戦う・・・(どこまで妄想やねん^^;)。

ちなみに突厥の歴史は、古くはアッチラ率いるフン族の中にもその名があるという事です。


不思議な民族ですね^^


バトゥ率いるモンゴル軍がこの地を東から突き破って西へとなだれ込んだ時にも彼らの軍団が参加していた!?と思えてくるのです^^


フン族とモンゴルの二つの時代に彼らは馬蹄を響かせて大地を駆け巡ったのではないかという妄想というより希望ですね(爆)


地球の中で最も厳しいであろう自然の中で、この地に住んでいた民族の力強さは一際光って見えるのですね。。。


草原で生まれて草原に帰る。


それが一番正しい選択なのかな?と突厥碑文を見る限り思えてくるオッサンでした^^


あれこれと妄想ネタを提供してくれた突厥の歴史に感謝です^^


これが突厥の答えという見解のお話でした。


カガン一族のその後はわかりませんが、、、
陰謀論的にいうと、どちらの体制にも組いる事は容易だろうと思うオッサンです。


という事で今回はオッサンの好きな陰謀論テイストで支離滅裂な記事にしましたが、、、



本人も読み返すに困る内容でスンマセンでしたm(__)m


あ!!


何度も言いますが、これは妄想ですので真に受けないでくださいね!!




やっぱ釣りの記事の方がいいかもですね^^;;;




では!またね(^^)/
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プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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