FC2ブログ

ジジイの生活向上委員会

Top > 歴史 > ちょっと休憩です

ちょっと休憩です

日本海の方で凄い雪が降ってますが・・・
ナベちゃん大丈夫でしょうか・・・

一晩で50cm積もったとかで、雪かきが大変そうですが・・・



なんて言ってるオッサンは、通院している病院の紹介で整形専門の病院を紹介されて、先日行ってきたのですが・・・


オッサンの左足のマヒは手術をしないと、後遺症として残る!と言われまして・・・


半ば強引に手術が決まってしまいました(T_T)


もうね!オッサン。。。そんな事を言われるとは夢にも思ってなかったので・・・


うへえ~~ショックですわあ~~(>_<)

だってね・・・


整形外科の手術室って独特でしてね・・・

並べてある機材が手術器具というより、工具といった方がいいようなものばかりで・・・

まあ、今は違うのかもしれませんが・・・


手術というよりは改造といった言葉がマッチするような場所なのです。。。


手術台もどっちかというと流し台といった方がいいような感じで(爆)


先生が仰るには、最先端の手術という事で心配ないとの事で、入院期間も1週間ほどで退院できるという事ですが・・・


でもね!!


なんせオッサンのイメージが悪すぎです。。。


手術室に入って同じものが置いてあったら、、、
けっこう凹むよなあ。。。なんて、今から思ってしまいます(>_<)



えっと・・・^^;;;



今日は、

オッサンの入院のお話で終わるわけでなくて^^;;;


高度自給自足時代の夜明けブログさんが久しぶりに更新されてたので、オッサンも内容を変えてのお話です。


まあ、過去の妄想史のおさらいかもですが^^;;;


スリーハンドレッド(スパルタ)について!!(爆)
というか・・・


終点が、ヨーロッパの歴史の陰になってる感が強い,東ローマ帝国の国教であったギリシャ正教までいけたらいいなあ・・・と^^



まずは!


キリスト教の生い立ちのお話からをサクっと(長い話になるかも^^;)・・・



えっと、時代は生まれたばかりのキリスト教を布教するエルサレムから始まります。


エルサレムはユダヤ教の国、そんな国でキリスト教は始まります。
しかし、エルサレムでの布教は失敗に終わります。


当たり前ですが、普通のユダヤ人が絶対的な選民思想を捨ててまでキリスト教に改宗する理由が見つからないと思うのですが、、、
どうでしょう・・・?


という訳でキリスト教はエルサレムを出て布教の旅に出るのです。



WIKIより

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初代教会あるいは原始キリスト教


イエス自身ユダヤ教と分離する意識はなかったと想定している。


イエスはキリスト教の基盤を用意した人物であり、教会の直接の起源は、イエスの死後、その復活を目撃したとされる使徒の下に集った共同体と推定される。


聖書に批評的な立場の学問は、初期の教団がどの時点でユダヤ教と独立な宗教としての「キリスト教」の自覚をもった時点について、多くエルサレム神殿崩壊の後と推定する。


当時はイエス自身の活動も含めて、ユダヤ教の一派とみなされていたと推定され、この見地から、当時の教会を「ユダヤ教ナザレ派」と呼ぶこともある。


この最初期にすでに複数のキリスト教集団が存在していたことが、パウロ書簡などから確認できる。



ユダヤ教からのキリスト教の自立


紀元60年代のヤコブの処刑、続くペトロやパウロの刑死、さらに第一次ユダヤ戦争(66-70年)の結果としてエルサレム神殿が崩壊した後で、(現在のユダヤ教主流派に近い)ファリサイ派がヤムニア会議で、ヘブライ語にルーツを持つもののみを聖典とすることが決定され、ギリシア語の七十人訳聖書はキリスト教徒にとってはこれも(旧約)聖書正典の1つ、ユダヤ教では「外典」となり、完全に袂をわかつことになった。


ここにおいてユダヤ教とキリスト教の信条の相違は決定的となる。これ以降「キリスト教」としての歴史が始まったといえる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここの説明は、出発点はユダヤ教の一派としてという事と、最初から複数の教団が存在したという所を踏まえておきます。

そして、ユダヤ教の主流としてのヘブライ語の教典が聖典となり、ギリシャ語で書かれた聖典は外典という事が決定された事件があり、これが袂をわかつ原因となったというところですね!


これ以降、キリスト教として独自の歩みが始まるのですが・・・
この時にすでにギリシャ語の聖典があったというところから伺える事があるオッサンです。


当時をさらに遡る前4世紀、古代ギリシャの地に稀代の英雄が現れます。

その人の名はマケドニアの王アレキサンドロス。
後のアレキサンダー大王その人です。


彼は当時、世界の東西の壁(ペルシャ)を打ち破る最初の人になります。
まさにパンドラの箱を開けた最初の人になるのです。


彼はスーサの王(スサノオ)として日本にまで名を残します(妄想ですが^^;)。



せっかくなんで、スパルタのお話もしておくと・・・



スパルタ独特の制度がありまして、、、今風にすると完全な奴隷制と国家社会主義を完璧にしたような制度でして、日本でもよくつかわれるスパルタ式なんて言葉ありますよね!


制度の良し悪しは別にして、この制度によって18歳以上の男子は皆兵となり、農業や生産やに関する作業は奴隷がするという分担ができあがり、これが戦闘で屈指の強さを誇ったスパルタ軍の原動力になったのだろうと思います。


スリーハンドレッドは、エーゲ海の制海権を争う形でアケメネス朝ペルシアとギリシャのスパルタを中心としたギリシア連合軍とのテルモピュライの戦いが舞台になります。


スパルタの王レオニダスが率いる300名の重装歩兵(親衛隊)とペルシア王クセルクセス率いる100万のペルシア軍の死闘を描いた映画ですが、、、いささかというか結構誇張されていると思うオッサンです^^;


戦いは数で劣勢のスパルタ主導で展開されますが、背後をペルシャに取られた時点でレオダニスは負傷した一人の兵士を帰して玉砕の道を選びます。


レオダニスの死が伝わるとスパルタの民は悲しみに暮れ、やがて沸き起こる怒りで復讐を誓います。


翌年のプラタイアの戦い場面。。。


テルモピュライの戦いで負傷した兵士が現れて、30万のペルシャ軍に対峙する1万の若いスパルタの兵士に語ります。


スリーハンドレッドの雄姿とスパルタのプライドとレオダニスの仇討ちを語るうちに、スパルタの兵士達の心に同じ意思が生まれていくという感じでしょうか?^^;


「300名で互角に戦えたのだから、この数なら楽勝じゃん!」


みたいな感じで映画は終わったと思うのですが、、、記憶が曖昧で。。。(>_<)


事実、この戦いでスパルタは劇的な勝利をするのですね^^



やがて時は流れ、マケドニアの王フィリッポス2世(アレキサンダーの父ちゃん)がカイロネイアの戦いでギリシャ(スパルタを除く)を手中に収め、ペルシャ進行の備えますが、暗殺されてその意思は息子アレキサンドロスに託されます。


そしてアレキサンダーの大遠征が始まるのですが・・・


スパルタはゼウスの息子ヘラクレスの子孫と言われるのです。
マケドニアとはあまり仲が良くない印象ですが(笑)

マケドニアもまたヘラクレスの子孫と言われます^^


アレキサンダーは短い生涯を大遠征に費やしてこの世を去りますが、彼が残した大帝国はオリエントとギリシャの文化の融合を興します。


これが後世にヘレニズム文化とよばれるものになります。


アレキサンダーは知ってか知らずか、その鋭い鉾で東西をくびきを破壊した最初の人となったのです。


すごくナガ~イ脱線をしてしまいましたが^^;;;


彼が起こした大遠征は、ある意味究極の東西インフラ整備になったというお話です。

これがキリスト教が拡大する要因(信仰に限らずですが)となったのは疑う余地がないと思うオッサンです。


最後に余談中の余談ですが・・・


ヘラクレスの子孫であるアレキサンダー大王も草原の狼の縄張りには入らなかったというオチで終わりたいです。


まあ、リスクの方が高すぎるかもですが・・・
もし、インドを目指さずに北を目指したらどうなっていたのでしょうね・・・


マケドニア式ファランクスでは太刀打ちできず、重装騎兵も役に立ちそうにありません。。。


マケドニア軍の有利な地形で戦えるよう、餌を置き罠を仕掛けても・・・

きっと狼の方が一枚も二枚も上手でしょう。。。


動かざる事、山のごとしだけでは戦えないしね^^;;;


が、しかし・・・


当時では、マケドニアの大軍団を引き受けるほどの集団も存在しなかったと思います。

しかも彼らは部族集団で大草原を家として暮らします。


彼らの帝国ができるのはもう少し後の事・・・


当時の戦争は富の奪い合い(もちろん現在も)です。
奪った富はマケドニアに運ばれます。


それだけの見返りがないと軍団の指揮はできません^^;;;

兵を展開させる理由が無いのですね!(爆)



という事で今日はここまで^^


次回はローマ帝国からいけるようにしますm(__)m



病院に行くまでに終われたらいいなあと思いますが^^;;;



20161112_213815@-0_convert_20170114060515.jpg
お腹が重いらしいです^^





では!またね(^^)/
関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

Secret

腰の手術されるのですね

おっちゃんさま、こんばんは!

なるほど「ヤムニア会議」がキリスト教・ユダヤ教が袂を分かつ契機になった訳ですね。私は歴史には疎いのですが、この辺りがおっちゃんのように理解できると、ヨーロッパ文化について、もっと理解できるんだろうなと思った次第です。

腰の手術されるのですね。
うちのばあさまも5年前しまして、突起の骨を切って椎骨の間に入れる、説明を聞いてギョッとしたのですが、無事復活しております。
最近の医療技術の進歩はすごいです・・
回復間違いなしと確信してますが、完全復活の折には、釣り楽しみです!

No title

やまねこさん、こんばんは!
いつもコメント有難うございます^^

オッサンの勝手解釈な歴史ですが、やまねこさんにそのように言ってもらえただけでありがたいと思います^^

相変わらずの途中寄り道の妄想史ですが、オッサンの体が戻るまで、御迷惑おかけします^^;;;

整形の手術ですが、昔はオッサンのような場合ですと、できないような説明を受けていましたが・・・
今では問題もなくできるようになったとの説明を受けました。
ただ、手術室の光景は何年たっても消えないぐらいインパクトがあって、、、どうもトラウマになっているようです(爆)

回復しましたら、またご一緒させていただくのを楽しみにしています^^

プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
最新記事
最新コメント
最新トラックバック