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ジジイの生活向上委員会

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元ヤマト

あけまして おめでとうございます。
今年も よろしくおねがいします。

と言うわけで、今日は大神神社に初詣に行ってまいりました。

自分は、近所の氏神様に念入りにお参りしているので、他の神様はどちらでも良いのですが^^;
家族はそうもいかないようで、やっぱり大勢がお参りにくる神社は賑やかで良いようでして

さっそくリクエストが入ったので、こんな時こそ大袈裟にサービスする機会なんで^^;;;

案の定の大渋滞を鼻歌交じりでやり過ごし、着いた頃にはみんな車内でウトウトしておりました(笑)

この神社は大きな鳥居が目印で、御神体は裏にそびえる三輪山です。

初詣で訪れるのは今回が初めてであると思います(それ以外では何度か来ているので)。

ここら辺は昔々、イリ王が作った国であると自分は信じています。

崇神天皇です。

ハツクニシラススメラミコト、神武天皇と同じ尊称ですが、どちらがどうであるとかではなく、
この地を最初に治めたのは崇神天皇であると思っています。

理由は、当時の奈良盆地のほとんどが湿地や沼地のような状態でした。

その山辺の地面に都を置いて開拓をした最初の王なのだと思っています。

山辺、つまりヤマトなんです^^

ここを元ヤマト(自分だけの呼び名ですが^^;)として、葛城の麓を新ヤマトと呼んでいます。

以後たくさんの王達がこの地を開拓していく事となります。

開拓された場所には市ができ、やがて民家ができ、田畑ができ、道ができ、駅ができ・・・

より多くの人が行きかうようになりどんどん広がっていくのです。

大坂側も同じで河内湖を開拓して行きます。

畿内のあちこちでこの現象が同時多発的に起こってゆきます。

つまり、人の住めない場所に彼らは来て、住めるように開拓してゆくのです。

倭国の邪馬台国が九州か大和かで論争されますが、この事一つとってもこの地が邪馬台国で無い事がわかります。

なぜなら、彼ら(自分の先祖も)は後発組であるからなのです。

他国と交易するには九州筑紫に比べてもこの現状ではあきらかに劣りますよね。

この地が洗練された場所になるには、さらに時を隔てないと無理があるのです。

だから、崇神天皇の歴史年表には明らかな無理があるのです。

それから天皇と最初に名乗ったのは天武天皇からです。

天武天皇は騎馬民族が使う天を呼称にした人でもあります。

応神天皇陵からは百済製の馬具と同じ馬具が出ているので騎馬民族である可能性がありますが、自分を天皇とは呼ばなかったようです。

ワケ王ですね^^

エヘヘヘ・・・

まあ・・・

なんというか・・・

大渋滞の中

こんなことを車の中で延々と話して家族を深い眠りへと追い込んだ自分も、十分に昔の道士の術を持っているのかと思った次第であります^^;;;;



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プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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