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天武天皇と赤旗

前回の記事に重症化しつつあるオッサンの妄想史の中に出てきた天武天皇と赤旗(共産党の新聞ではありませんョ^^)について妄想のネタのお話をしようと思います。

オッサンは南船北馬(南の海人族と北の騎馬民族)がアジアの図式だとズ~ッと考えていまして、いずれは海人族のお話をしようと思っていたのです。

しかしオッサン妄想史はズレまくり、頼みの海人族も怪しくなって来た所に不比等の件が噴出しまして、もうさっぱりわからなくなってきました^^;;;

しかし、誰にはばかる事もない妄想史の探求者を目指すオッサンとしては、やはり突破せねば先には進めません(-"-)

釣行記も記事にできそうなこの時期に停滞させてなるものか!

という事で妄想に火をつける着火点とできれば良いとの思いで、ここら辺で一発かましておきます!(なんかわけわからん表現ですが^^;;;)

オッサンが赤旗にこだわるのは、新聞ではありません(さっき聞いたって・・・)。

オッサンが最初に読み始めた歴史本というのが、矢切止夫氏で矢切史観という面白い歴史観に興味を持ちだしたのですが・・・

つまり、オッサンの妄想史はこの初期の歴史の影響を受けていくのです。

矢切史観では源平藤橘で日本の民族構成をするのですが、この時矢切氏がよく使った言葉が平家の赤と源氏の白なのです(なつかしい^^)。

天武軍の赤旗は色んな意味が想像できるのですが、その一つに平家の赤もあり得ます。

天武天皇は最初に天皇を名乗った人であったのです。

大海人皇子とは天武天皇ですが、これは過去に五行説でいうところの任那だと記事にした事もありましたが、道教の五行説ではなくここは一つ平家の赤旗の大海人皇子として妄想してみたいと思います(無理スジですが^^;;;)。

まずは、「天武天皇は済州島のお方である!」との記事を書かれておられる飯山一郎氏のブログを紹介します。
 天武天皇は,済州島の御方である!

この記事を書かれている飯山一郎氏ですが、多方面において多彩な才能を持っておられて、何事にもポジティブな姿勢で対処されていて、オッサンは自然食であるとか乳酸菌であるとかに興味を持ってよく見させていただいております^^

えっと・・・

済州島はその昔、耽羅国と言われておりまして、琉球国(現沖縄)のような歴史の認識をしている島(洲)であります。

以下、飯山一郎氏の記事より抜粋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天武天皇二年(673年)8月25日 に次のような記事がある.
 「詔耽羅使人曰。天皇新平天下。初之即位。由是唯除賀使。以外不召。」
 
日本語に翻訳すると,「天武天皇は,済州島の使人に,自分は天下を平定し初めて天皇に即位した.よって今後は祝い事などの儀礼以外は呼び寄せることはない(済州島に帰ってよろしい)と言った」.

.済州島は古名を「耽羅」といい,百済の属国であった.
 『日本書紀』では,耽羅と日本の交流は日が浅く,耽羅国が日本国に初めて入朝したのは,661年のことだ.
 
それが,673年の記事では,天武天皇が耽羅の使人に対して「祝い事などの儀礼以外は呼び寄せない」と言っている.これは,天武天皇と耽羅との「付合い」が「祝い事」以外の面で非常に深かった,ということだ.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この耽羅国は飯山一郎氏の記事に天武天皇との関係の深さが記されているのです(まだまだ序文・・・今回は長いかも><)。

そして済州島(耽羅国)は日本の歴史とも深く繋がりがある可能性が高いのです。

倭国の王は代々アマ氏を名乗るのですね。そして北魏を建国した鮮卑拓跋氏の支族の中に禿髪氏があるのです。

この禿髪氏は以前記事にした五胡十六国時代の南涼の鮮卑禿髪氏であるのですが、西秦に敗れ北魏に亡命し大武帝に「そちたちは、朕と源を同じくする。事に因りて姓を分かつ。今は源氏と為すべし。」と源の姓を賜り西平侯の爵位を受け、龍驤将軍の号を加えられ禿髪破羌です。

この時、破羌の息子たちも「源姓」の姓を賜ったのです。

以降からこの氏族は河南郡洛陽県を本貫としたそうなのですが、末子の阿毎は生母の身分が低いために、「源氏」の姓は賜ることができずに、そのまま「禿髪氏」として、北魏に仕えたそうです。

やがて阿毎は自分の部族を率いて東進して、朝鮮半島で同じ鮮卑慕容部の一派と白狄鮮虞部と羌氏、扶余などの各部族と合流して、朝鮮半島南部にいた海洋民族である韓人あるいは汗人を奴隷として、舟を製造させて海を渡り耽羅(済州島)にある漢拏山の山頂部にある白鹿潭(湖)付近の草原地帯に本拠地して、牧畜生活をしたという事です。

この連合部族が洲胡と呼ばれ、また耽羅鮮卑とも呼ばれるのです。

そして子供の禿髪汗斯が禿髪から父の名の阿毎に姓を変えて以降、阿毎氏を名乗るのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「前燕・後燕・西燕・南燕・吐谷渾などの国を建国した鮮卑慕容が応神・仁徳となり洲胡の盟主として汗斯など多くの各部族の長とともに、日本に渡海して先住民の倭人などを奴隷にして、河内王朝を建国に尽力する功績を残し、応神・仁徳天皇父子から出雲国~若狭国の日本海方面の広大な領土を与えられた。 」

そして、汙斯が亡くなり、その子の阿毎男大迹(継体天皇)が後を継ぐと、妻の弟でもある河内王朝の武烈天皇を滅ぼして、大和朝廷を建国した実質上の日本の皇室の始祖となり、今日の今上天皇(平成天皇)の遠祖であり、『大化の改新』以降から中国化した制度を採った中大兄皇子(天智天皇)が、阿毎氏から中華風の原氏と改姓した。

江上波夫氏、騎馬民族征服王朝説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうでしょう?この説、なかなか面白いと思います^^イケてますよね!

オッサンはこの洲胡が平家の基になるのではないかと今回より思う事にいたしました^^;;;

と、、、

前回の記事の妄想の問題が一つ、解決したということにしたいと思います!

しかし継体天皇の記述は従来のオッサンの妄想が健在ですし、すべてを変更する事はできません!!(>_<)

という事で一部変更ですが^^;;;

ただ、日本に来た鮮卑族には拓跋氏(源氏の基)がおり突厥も健在で三者が入り乱れる戦乱は戦国時代まで続くのですね(勝手に決めてる^^;)。

と、、、こんな感じに出来上がりましたが


また変わってしまうかもしれません^^;;;

とりあえずは、源平の戦いは鮮卑同士の戦いで、宗教戦争でもあった一向宗と織田信長の戦いはこの流れからいくと突厥と鮮卑慕容末裔同士の因縁の続きであり信長に軍配があがるが、阿毎氏が漁夫の利をさらっていったという事になるのでしょうかね。。。

なんかややこしくなってきましたが・・・(笑)



では(^_^)/
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Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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