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渡来人往来!!

楽浪から三韓へ、半島~日本と繋ぐネットワークの可能性

オッサンの妄想史の中に一つの答えに行きつきました。ネットの古代研究家の方々(様々なブログを回らせていただきました^^)のおかげでありますm(__)m

古代からの渡来人の代表として秦氏を紹介してきました。そしてほとんどの渡来氏族は秦氏が基になっているとの考えをお話してきました。

そして古代テクノクラートである彼らが日本の文明に大きく関わってきたとお話してきました。

オッサンはこの時点で見落としていたというか、すべて秦氏という括りにしてしまっていた事があり、再度、考察する必要が出てきました。。。

今回は大昔の大きな流れの中で東アジアを往来していたであろう渡来氏族の再考です^^

オッサンの妄想史の一つのまとめにもなります。皆さんに見てもらうのはもちろんの事、オッサン自身の一つの答えを記事にいたしたいと思います(前フリ長いぞ!!)。


あいかわらず頭の整理ができていないオッサンですので、どこからお話したら良いかと迷うのですが、、、

まずは、渡来氏族の事からおさらいします。

①秦氏(中国秦国の末裔)

第14代仲哀天皇8年、秦氏の先祖、功満王の来日の記事があります。

第15代応神天皇14、年功満王の息子の融通王が18670人の127県の民を率いて来日したという記事があります。

日本書紀にも同年秦氏の先祖の弓月君が120県の民を率いて来日したと記されています。

②漢氏(中国漢国の末裔)

東漢氏(やまとあやうじ)
応神天皇の頃(4世紀末ー5世紀初め?)帯方郡出身の阿智王らが日本列島に渡来します。大和国飛鳥地方を本拠とします。

西漢氏(かわちあやうじ)
応神天皇の頃阿智王に続いて楽浪郡出身の王仁らが日本列島に渡来します。河内国を本拠地とします。

③文氏

東漢氏系氏族の中に文氏があったそうで、その他文首という氏族もあったという事です。
そして、王仁の渡来理由は百済から論語・千字文などの典籍などをもたらし天皇に教えることにありました。

和爾吉士の吉士は新羅の官位であるとの事で、それ以後文人を排出する家柄として文氏と称されるにいたったらしいです。

7世紀ごろには、東西文氏、東西文部として、それぞれ称されることとなります。

当時の律令・学令には、東西文史が大学に優先的に入学できることが規定されており、『令集解』にもそれらの事が記されているとのことです。

つまり、東西文氏は文筆業を主としたことから、その呼称・氏族名が生じたものと考えられているのですね。

・・・・

ここで思いつくのが、藤原不比等です。

天智天皇から藤原姓を賜った藤原鎌足の次男であり、日本書紀の創作に関わった人物であるとされています。

諸説の中の一つに『尊卑分脈』に引く藤氏大祖伝に、不比等は山科の田辺史大隈の家で養育され、史ふひとと名づけられたと記されていることガあるとの事です。

不比等は大宝律令の撰定者でもあったのですが、『続日本紀』文武天皇四年六月十七日の条に、藤原不比等ら撰定者に録を賜うとあり、その中に田辺史百枝・田辺史首名の名がみえるとの事で、これは田辺史に養育された不比等の圧力が伺われます。

彼は歴史の編集の中枢として、日本の歴史を作った(改ざん)できた人間であったわけですが、、、

これが(不比等が)文氏の中心人物であるなら、動作もない事であったのではないかという妄想なのです^^

オッサンは藤原氏はこの文氏であったのではないかと思ったのですね!

さらに文氏についてですが、、、


ブログ「渡来人研究会」様からの引用です
・・・・・・・・・・・・・・

律令・神祇令、『延喜式』大祓・祝詞条にも東西文氏についての記載がみえる。宗教面では六月・十二月晦日の解除儀において、両氏は天皇に金刀を捧げるなど重要な役割を果たしている。平安期の「延喜式」には、毎年6月と12月の晦日に東・西文部が「解除」と呼ばれる大祓を行っていたことが記されている。この解除では、平安期に流行した人形を用いた祓い、天皇に金刀、壺、「荒世」・「和世」と呼ばれる衣服を奉る儀式がおこなわれた。このうち天皇が壺に息を吹きかける儀式については、平安期に流行した人面墨書土器を用いた祓いとの関係性が指摘されている。

・・・・・・・・・・・・・引用終わり

このように祭祀にも関わっているという記事があります。

オッサンにはもうこれは確定事項と妄想します(笑)


さて・・・

藤原氏が文氏であるとして、、、漢氏(王仁?)の一氏族であった彼らの出自をオッサンの範囲で追ってみようと思います。

まず漢氏ですが、東漢氏と西漢氏があるとお話しました。

東漢氏は大和飛鳥に西漢氏は河内にでしたね。。。

河内という場所ですが、オッサン家(摂津国)の東の方向にある地域です。八尾市や松原市・羽曳野市(実際はもっと広域ですが)に広がっている地域です。

この河内にも飛鳥と呼ばれる所があります。西漢氏が定住した場所は河内(羽曳野)の飛鳥であったのではないかと思っています。

飛鳥ー明日香ー安宿ーアスカ。安氏の住む場所でもありますね^^

飛鳥の場所に住んだのではなく、彼らが住んだから飛鳥になったという解釈です^^

漢氏と飛鳥の関係が一つできましたね^^(藤原京にも関係するでしょうかね?)

オッサン家の近くにはシハツ道(だったと思います^^;)という古代の道があり住吉津~長吉~志貴~八尾~竹内(たぶんですが^^;)と続く道が通っていたとの事です。

ん・・・?

またお話が脱線したみたいです^^;;;

ただ、このシハツ道上に河内飛鳥はあると思います(たぶん)^^


えっと・・・

百済からの渡来人という事で百済の歴史を追ってみたいと思います。

百済は馬韓の地に興った国です。馬韓は50余国の連合国家でその中の伯済国が後の百済になったといわれます。

そして、百済王家は扶余族で、支配者階級(扶余)と被支配者階級(伯済)の二重構造の国で互いに言語も違っていました。



ここでブログ「八に隠された秘密」様より漢氏の出自 ( 著・ 田中清雲)の引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・

『周書』百済伝の述べるところによれば、王について、自らを「於羅瑕」と言い、民衆は「鞬吉支(こんきし)」と呼ぶ。

『日本書紀』の表記は「コニキシ」または「コキシ」であるから、百済被支配者層の言葉が使われている。

これは特筆するべきである。

『書紀』編纂を主導したのが扶余系の藤原氏であるのに、記述は被支配者層の言語なのである。ここで分かってくることは、『書紀』記述者は、史集団を形成していた漢氏に他ならないし、百済被支配者層は漢氏ではないかということになる。

馬韓の伯済国は漢氏の国で、国名ごと扶余系百済に乗っ取られたと考えられるのである。

・・・・・・・・・・・・・・引用終わり

田中青雲氏の記述のように不比等が文氏をを使って書かせたか、そうでなければ不比等自身が漢氏(文氏)の出自があったかのどちらかであると推測されるのです。



ここでさらに「八に隠された秘密」様より漢氏の出自 ( 著・ 田中清雲)の引用です。
・・・・・・・・・・・・・・

百済の国名の由来について、『北史』、『通典』のそれぞれの百済伝は、「初め百家(大勢)で済海(海を渡った)したことにより百済と号した」と述べている。

実は、この由来譚は百済の前身の伯済のものではないかと考えられる。
それは陸続きに馬韓の地に入った扶余族が何故海を渡る必要があったのかという疑問からである。

・・・・・・・・・・・・・引用終わり

つまり北史や通典の百済伝も伯済のものではないかという事なのです。

キーポイントは二重構造の国(二重国家)なのです。

藤原氏が扶余であるならこんな伝記を作る根拠は存在しません。扶余の伝記を入れれば良いのですから^^

日本の古代弥生人は秦に滅ぼされた斉国からの渡来人であるとも言われています。

この中に秦の苦役から逃げてきた秦氏と同じ種族がいて、その人達が漢氏と呼ばれて、海を渡って楽浪に着き伯済を興したと考えられますね^^

楽浪は四世紀初めに高句麗に滅ぼされ、この時にも日本に渡来したのではないかと思います。

この国を扶余が乗っ取り、唐・新羅連合に滅ぼされるまで百済として伯済の由来まで百済のものとされたのではという事です。

漢氏(伯済)である不比等は、扶余が使った方法を日本で完成させた(日本書紀)という妄想でした^^

扶余ー高句麗ー安羅ー日本という流れと、斉ー楽浪ー百済もしくは斉ー楽浪ー新羅の流れがオッサンの中で見えてきました。

斉ー楽浪ー百済の流れが漢氏であり、斉(もしくは秦)-楽浪ー新羅の流れが秦氏になるのではと思います。

楽浪はローラン(ロラン?氏族か地名か国名か?)で浪早で浪速です。

うまく説明できませんが^^;;;


オッサンの中では大きな妄想です(爆)

今回は忘れない為に記事にしました^^

なんとなく繋がりそうなイメージですが・・・(笑)


東アジアの制海権を持っていたのは倭国だけではなさそうで、もっとグローバルだった可能性大有りですね^^

漢から逃れてきて伯済でそして扶余に乗っ取られた百済で・・・

そして、百済滅亡で逃れてきた日本で・・・

不比等はやっと自分達の物語を綴る作業を完成させた訳ですね。。。^^



では(^_^)/
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No title

歴史記事を綴っている おっちゃんは、なんかすごい~と
思ってしまう白海です・・・

今回もこのような記事に場違いのコメントお許しを・・・
おっちゃんはジンクスとか相性とかってありますかね?
白海、ダンゴで使う竿、何竿か持っているのですがぁ
(高価な竿はひとつもございませんがぁ(^_^;) )

そのうちの一つの竿、この竿を使うと・・・なんていいますか・・・
あまり・・・ほとんど・・・お魚釣った事ございませぬ!
もっ、もちろん腕が悪いのは十分承知しておるんですが・・・
対象に白海の持ってる他の竿よりも、お安いお求めやすい竿、
こ奴を使う時はちょくちょくええ仕事をしてくれたりとか・・・
これが、ジンクス、相性っていうのでしょうかね(^_^;)

いえいえ^^;;;

歴史というよりほとんどオッサンの妄想ですから^^;
白海さんがこの頃の歴史はこうだ!と考えれば、それが妄想史です(笑)

今回はどうも魚との相性が悪いんじゃないか?って言えそうな竿ですね。。。

オッサンもありますね~(^。^) 

お気に入りの竿なんやけれど、これを使うと魚が釣れないのよね~!という竿が^^;;;

それでその竿にいつか魚の引きを経験させてやらにゃあかん!と出番を作るのですが・・・

なかなか良い時に出くわさない・・・とこんな感じです。
白海さんのその竿はきっとお気に入りの竿なのかもしれませんね^^

オッサンの釣れない竿は三重では海で使う事なく、アパートで延ばしてばかりの竿でした^^;

これで大物を釣りあげる!と眺めてばかりだったので、、、竿はそのプレッシャーに負けてしまったのかと・・・(爆)

連戦連闘で使ったらいいのですが、どういうわけかそんな気にならないというか・・・^^;

うーん、、、白海さんの釣れない竿もここ一発の出番を待っている竿かもしれません^^


プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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