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中世から見えてくるもうひとつの日本史

三連休は台風なので海がシケて来るまで外海に面する漁港なんかで釣りをすると思わぬ大物を拾う事ができたりします。
ただし、危険を感じたら即、撤収が基本なのは言うまでもありませんが(苦笑)

リアス式海岸である三重には、こんな時にとっておきになる釣り場がけっこうあります。
沖の消波ブロックがとんでもないぐらいに波を被っていても、港内は以外と静かだったりして、何気に竿を出せば年無しばかり釣れた!!
なんて事があるのがこんな時です(笑)

自分は単身赴任で長く三重にいたので、三日間も休みがあれば台風であろうと一日は釣りに時間をあてないと暇でしかたなかったせいもありますが・・・(苦笑)

さて・・・いきなり釣りから話が始まって止まらなくなりました^^;

今日は、視点を変えて歴史の見直しをしてみたいと思います。

世界史は例外なく権力の交代、つまりは革命の歴史であると。
日本の場合、天皇家がずっと日本を統治してきた歴史があり革命は皆無であったとするのが、自分達が習ってきた歴史であります。

しかし実際には武士が勃興してきた時点で天皇は傀儡化していたのではないかと思います。
では、武士とはなんぞや?ですが・・・

武士=侍。侍=公家侍+地家侍。
概ね、公家と地家に分かれたこの二つが侍ということになります。

これらとは別に「白村江の戦い」の前後して日本に伝えられた仏教とそれより以前から日本(倭)にあった神祇の対立・・・
公家侍(仏教)と地家侍(神祇)の対立であったわけです。

仏教と神社神道が融和して現在のように穏やかな日本の信仰に変わるのは、実は意外と遅く明治(もっといえば戦後)からではなかったかと思います。

それまでの日本の歴史はこの対立軸上に沿って起こっているといのが事実なんではないかと考えています。

ここまですごく大雑把に話してきましたが、神祇というのも一つではなく、仏教もご存知のように一つではありません。

こうなるとたくさんの対立軸が存在しますよね(笑)
たぶんこの対立軸の数だけ日本の過去に王朝というか征服者となった人達がいたのではないかと考えています。
事実はそう簡単明瞭ではないでしょうが、古代を知るには中世にヒントがあると考えています。

戦国時代の武将にとても良いヒントになる人物がいます。

それは織田信長です!!

彼は比叡山や高野山を焼き討ちし、一向宗と戦います。
彼はまさしく神祇側の人間ですね。躊躇うことなく坊主の首をはねる事ができたのもここに理由があるのです。
このような視点で見て行くと、また違った歴史が見えてきます。
これは序文の序文で・・・
この話をしてゆくとキリがなくなるのでこれにて失礼します(笑)

暇があれば、この視点で他の武将も見てゆくと、輪郭がぼんやりと浮かんできますよ(笑)

追伸

案の定というか海が大時化状態になりそうです。釣行は控えたほうが良いでしょう。
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プロフィール

八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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