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ジジイの生活向上委員会

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草原の道の先、扶余、高句麗、日本

ちょっとだけですが昨日から涼しい大阪ですが・・・

三寒四温でないけれど、三涼四暑ぐらいにはならないか?と思っているオッサンです^^

さて、日本への仏教伝来をオッサンの妄想史にどのように組み込むか?という課題に行き詰まっていたのですが・・・

オッサンはシルクロードの石仏群が気になってそこから離れられずに迷走を繰り返していたのです。。。

クシャーナ朝で起こった弥勒信仰はどのルートでやってきたのか?っと・・・

シルクロードとステップロード。。。


どちらに軍配を上げるとかというのではなく、最初に日本に伝わった仏教がどちらからきたのか?という視点から栗本慎一郎氏のステップロードを取り上げる事にしました。

ただ、中国の仏教史を考えた場合、オッサンには理解できていない部分が多々ありまして正直わかりません(>_<)

中国の仏教史は唐の時代に盛況をむかえます。オッサンが思うより短命でありますね。。。

しかし、仏教にかわるものがこの地で栄えて行きます(現在の中国でも続いているかもです^^)。

この仏教に変わって栄える物はオッサン的には中国4000年のなせる業であったと考えています^^

道教や儒教や仏教、ミトラ教を大鍋に放り込んで形がなくなるまで煮込んで作り上げた弥勒信仰がこの後の中国史に関わっていくのではないかと妄想しています。(いつかこのお話もできたらいいですね^^)

ちなみに日本でも大鍋で煮込んだ形跡はあるのですが、形をきちんと残した状態で後世に伝えられたのではないかという妄想です^^

というところまでお話をしまして、

仏教が日本に伝わったなら伝えた相手が必要です^^

栗本氏はこれをパルティアであるとして、飛鳥とはパルティアを指す言葉であると著書で述べています。


氏の著書より抜粋引用します。

//////////////////////////

ペルシャは、宗教の発展地または中継点である。仏教さえも東イラン高原で生まれたと言う学者もいるぐらいである。

東イラン高原は北に上がればカスピ海東岸部に至る。

そこはパルティア帝国(前三世紀~後三世紀)の発祥地でかつ発展の中心地だったし、さらにもう少し北に行きカスピ海東北岸に行くと、その地は南シベリアからコーカサスに抜けやがてメソポタミアに入ったスキタイ族の通過点でやはり発展の中心地、拠点となる。

アレキサンダーの遠征は最初から限界のあるものだったが、それでも草原ルートに南に接するバクトリアやその東のトカラスタンまではギリシャ的な要素を広がらせた。

バクトリア、トカラスタンとその南方の今日のアフガニスタンやインドは結び付けられ、これが後のクシャナ朝の基となる。

要するにアレキサンダーが外した草原ルートも押さえ、東西の交流を本当に支配し、歴史の真の動因を形成した大帝国がアスカ(パルティア)であり、重要な時期に重要な場所で500年にも及ぶ長期に渡って存在した帝国だった。

//////////////////////////引用終わり

栗本氏はこの地がオリエントで最も重要な場所であり、蘇我氏(オッサンの妄想では突厥でして、氏と同じ答えになります)はこの地から日本にやってきた民族であると言っています。

またこの地は突厥の帝国があった場所でもあり、その後にキメク汗国があった場所であるとも言っています(氏は突厥の字を嫌いチュルクと書いています^^)。

まずは、オリエントのアスカと日本の飛鳥、ここがステップロードで繋がっていくのですが、この進入路にあたる二つの国、扶余と高句麗については次回のお話で説明していきたいと思います^^




では(^_^)/
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八爺

Author:八爺
59歳になりました。生活不詳、引きこもり、世間の事は何もわかっていない勉強中のジジイです。

我家にやってきた猫のタマの一年と一ヶ月の記録に同じく「台風からの訪問者」はちの成長と釣りとたまに歴史のお話と愚痴を記事にしていきますので、よろしくお願いします^^;

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